田尾安志氏は、中日、西武、阪神といった球団で活躍した後、野球評論家としても知られていますが、彼の野球人生には、知られざる逸話が存在します。大阪府立泉尾高校を卒業後、同志社大学への道を選んだ田尾氏ですが、実は彼にはもう一つの大きな選択肢がありました。それは、広島東洋カープからの誘いでした。この話は、彼自身が大学入学後に初めて知ったというものです。
高校時代、田尾氏はその卓越した野球の才能を発揮し、投手としてだけでなく打者としても優れた成績を残しています。高校3年の夏には、大阪大会でベスト4に導くほどの活躍を見せました。しかし、彼の進路は、予期せぬ形で変わることになります。
大学進学を決めた田尾氏ですが、彼が同志社大学に進学を決めた背景には、地元関西に留まりたいという思いが強く作用していました。実は、高校時代に早稲田大学の練習に参加する機会もあったそうですが、東京への進学には興味を示しませんでした。そして、彼が選んだ同志社大学での道も、推薦制度を使わず、自力での合格を目指すという厳しいものでした。
田尾氏が同志社大学の練習に参加した際のパフォーマンスは、渡辺博之監督からも高く評価され、「特待的な扱いはできないが、受験してほしい」との要請を受けます。これが彼にとって大きな後押しとなり、最終的に社会学部社会学科に見事合格します。
大学入学後、広島カープからの誘いがあったことを知った田尾氏は、それを知らせなかった顧問の判断に驚きを隠せなかったといいます。この出来事は、彼のキャリアにおける重要な「何がしか」であったことは間違いありません。
感想:
田尾氏の逸話を知ることで、選手一人一人の背後にある多様なストーリーが、我々ファンには見えてこないものかもしれません。彼が広島入りしていたらと考えると、日本の野球史が少し変わっていたかもしれないと思うと、選手のキャリアに対する選択の重要性を改めて感じます。それぞれの選択が、どれほど多くの可能性を秘めているか、そしてそれが如何に選手の未来を形作るか、非常に興味深いと思います。